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6月30日(月)

◇◆◇お知らせ◇◆◇

   「片平の散歩道⑥」    
     が掲載されました!

昨日(6月29日(日))の河北新報折込“KAHOKUひまわりクラブ”の2面に掲載されています(写真参照のこと)。

 今回は“夏は「大日如来」の祭りから”です。金研の周りには今たくさんの旗が立ち並んで、この「大日如来」のお祭りが近いことを告げています。毎年の恒例行事のいわれを知ることが出来る内容となっていますので、是非ご一読ください!

 なお、この記事は百周年ウェブからもご覧いただけます。右のボタン(片平の散歩道)を押していただくか、下記URLをクリックしてページをご覧ください。

◆片平の散歩道 ../k-sampo/k-sampo.html

6月25日(水)

6月も残すところあとわずかとなりました。本日の仙台は梅雨の晴れ間。傘も日替わりで雨傘、日傘と使い分けるこの頃です。

さて、金研構内の紫陽花がきれいになってきたので、お昼休みを利用して撮影してきました。

ブログトップページには、計算センター前の紫陽花を掲載しましたが、こちらは1号館うらの紫陽花。

さらに強磁場センター前を歩くと、今年もたくさんの紫陽花が。

微妙に違う色合いを観察してみるのもいいですね。

6月24日(火)

昨日のアルバムと一緒に、事務局では

『金属材料研究所 通用門』

プレートも保管しています。

このプレートについて、当時の職員の方が次のような文章を残して下さっていました。

“プレート「金属材料研究所通用門」について
 このプレートは、旧北通用門に掲示されていたものです。
 それが1994年4月22日 建物周辺整備の都合上取り壊されることになり、その状況を撮影していた私が、いざ門が引き倒され、同時にあのプレートの運命はどうなるのだろうと心配になり、現場責任者に聞いたところ、このまま産業廃棄物として処理されるとの事でした。
 そこでせめてもと思い、プレートを外してくれるように依頼したところ、その責任者は、無造作にパワーシャベルの運転手に外すよう指示し、運転手は、シャベルの爪の部分を引っ掛けて外し、私に渡してくれました。
 プレートについている傷はその時に出来たものです。”

もう一度写真をご覧いただくと、プレートの下の部分が少しアーチ型に変形しているのが見て取れるかと思います。”シャベルの爪の部分を引っ掛け”た跡なのでしょう。

6月23日(月)

先週はさまざまな資料のご提供をいただきました。

その中に、たくさんのアルバムなどがあり、早速どういったものか確認してみると…アルバムは今から20年前、現在の2号館新築のために古い建物を解体する様子や当時の金研構内の様子を収めたものでした。そのうちの1枚がこちらの写真。

現在の写真と比較してみると、上の写真(1994年)には大きな門が見て取れますが、下の写真(2014年現在)では生垣の間を人が通り抜けできるようにしているといった感じです。

20年前とだいぶ様変わりしたことが分かりました。

6月20日(金)

このところ資料をご提供いただく機会が増え、ご提供の際に

『ぜひ百周年に』

の言葉をいただいています。大変有難く思っています。

本日は、その百周年まであと700日! 来たるべき日まで、本多先生の言葉『つとめてやむな』を念頭に引き続き業務をすすめてまいります。

6月19日(木)

本日、東北大OBの酒井さんが金研に来られ、是非展示品にとご自身が長年愛用された山岳用具をご寄贈下さいました。ありがとうございました。

写真は、所長とのご歓談の様子。

歓談の後、今後保管展示していくにあたって、さまざまなお話を伺いました。“今日が最後ですね”とおっしゃって愛おしそうにお手入れをされる姿が印象的でした。

6月16日(月)

本日事務局は、本多記念会前事務局長にお越しいただいて、さまざまなお話を伺いました。

お話を伺う中で、関連する貴重な資料を2点ご提供いただきました。

そのうちの1点が本日掲載した写真の“デッサン”です。モチーフは田園調布駅。本多先生の御親戚の方が描かれた絵とのこと。裏には絵の説明が記されていました。

貴重な資料を有難うございました。大切に保管してまいります。

6月13日(金)

金研の古い写真にまつわることなどを調べるとき、研友が頼りになるのはもちろんですが、もっと範囲を広げて、とある案件について新聞記事をあたって調査を進めてみました。

その案件とは、1953年、国際理論物理学会本会議後に仙台を訪れたモット博士をはじめとする研究者の足どりについてです。今から60年以上も前の出来事です。

モット博士らが仙台、東北大を訪れたことは、東北大学五十年史(上 第三章 物理学科 第五節 有名物理学者の来学 p.632)にも記載されているのですが、さらに詳細な情報を求めて今回は地元新聞である河北新報の記事をあたってみました。実は、当時の様子を収めたと思われる写真が金研に残っています。しかし、それらには日付がないため、特定するべく調査を進めたものです。

今回の調査では、仙台での足どりをつかむことができ、写真の日付を特定することができました。大きな収穫となりました。

6月6日(金)

先月23日のブログで取り上げた古い“ノート”について、引き続き調査を進めていますが、図書館から借りてきた本との関連は薄いようでした。

そうすると、次は著者の線から調べようということで、背表紙を再度確認すると、“T. Ishiwara”と記されています。漢字にすると“石原”でしょうか?金研の古い名簿では“石原”というお名前は2名該当がありました。そこから調査を進めることになりそうです。

また、もう一つの手掛かりとして、表紙をめくるとすぐに記されている、寄贈者の名前“今井勇之進氏”。

寄贈のいきさつなどがどこかに記されていないか、『研友』をあたってみることにします。

6月5日(木)

このところ事務局では、2~3調査を並行して進めています。

その中で、『研友』に何度も目を通すのですが、本日はその表紙の変化について紹介しましょう。

まず、記念すべき第1号の表紙です。研友の文字は、もちろん本多先生によるもの。シンプルです。

次は、第4号。この号から表紙に写真が掲載されるようになりました。

レンガ造りの旧一号館の写真ですね。

研友の文字も横に配置されています。

さらに第8号。

この頃になると、号数の下にタイトルがつくようになります。

ちなみにこの号は、

『大東亜戦争一周年記念号』

その時世をよく表しています。

6月3日(火)

6月になりました。本日は、古い資料の紹介をしましょう。

左の写真は、最近あまり見かけなくなったVHSのテープです。タイトルを見てみると、

『リニアモーターカーが翔んだ 夢をささえる材料の世界 本多光太郎から現代まで』となっています。さらに、“1980.2.11 OA” と、日付も記されていました。

このタイトルを見て、すぐ『研友』の記事と照らし合わせたところ、『研友』第38号(1980年)P.6にこのビデオのことが記されていました。

“ まだ雪が残っている。55年1月19日に茅先生が来仙されました。増本量先生とT.V.のビデオを撮るためでした。
 この対談は、旧本多邸で行なわれそのT.V.は55年2月11日の建国記念日に、
      リニアモーターカーが翔んだ 
      「本多光太郎から現代まで」
      ‐夢をささえる材料の世界‐
という題の1時間番組として全国に放映されました。”

事務局では、先にこの記事を把握していましたが、先日受け入れた資料の中にこのビデオがありました。一つ一つ照合していくのはかなりハードな作業ですが、こうして合致した時は喜びもひとしおです。