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2月23日(月)

◇◆◇お知らせ◇◆◇   
  「片平の散歩道⑭」  
     が掲載されました!
 昨日(2月22日(日))の河北新報折込“KAHOKUひまわりクラブ”の2面に “北門にモダンな萩と桜咲く” と題して掲載されています。

 今回とりあげているのは『さくらキッチン』。昼時になると学生や教職員でにぎわう学食『さくらキッチン』は、3年半前にオープンしました。それまでの『北門食堂』とはイメージがガラリと変わりましたが、胃袋を満たす役割は今でも変わりません。また2階の「レストラン萩」は夜も営業しているとのこと。バータイムの雰囲気を味わいに訪れてみたいですね。
 片平の散歩道は右のボタンを押していただくか、下記のURLよりクリックしてご覧ください。
 ◆片平の散歩道  ../k-sampo/k-sampo.html

2月13日(金)

さて、昨日紹介した訓辞ですが、そこに記されていた9月21日には何が行われていたのでしょうか。

研友誌にはその年の出来事が時系列で記されているページがあるので、さっそく研友第7号(昭和15年)を調べてみました。すると、その日の午後1時半から鉄道大臣官房研究所会議室に於いて、講習会役員会が開かれていたことが分かりました。 本多先生の訓辞はその時のものかもしれません。

さて、その役員会ですが、一体どんなことを話し合っていたのでしょうか?もう少し詳しく調べてみると、この日の役員会では、10月1日から6日間に渡って行う予定の『研友会第7回金属材料講習会』と防空訓練が重なることが判明したため、具体的な対策について話合いをしていたようです。やはり戦時下というのは苦労が絶えなかったのですね。さらにその後の日付をたどってみると10月2日から8日まで、東京商工奨励館に於いて無事講習会が開かれたと記されており、次のような文章が添えられていました。
“既述の如く今回図らずも講習会第一日乃至四日の四日間が防空訓練期間に相当するので困ったこと乍ら萬一其間講習会が開けないことになると尚困ると言ふので、通報を受けて早速所轄官僚並びに所管警察署と打合せて諒解を求めた上寧ろ積極的に乗出して予定通り講習会を開催することは勿論、進んで防空訓練に協力し、その認識と運用に資しようと意気込みました。之に對し特に商工奨励館の好意ある御援助と御指導を蒙り、且全役員打つて一丸となり完全に此の難関を克服し得たことは感謝の外なく特筆大書すべきことでありました。
 他方聴講者も多大の不便にも拘らず出席率は例年に優るとも劣ることなく熱心に聴講されたことは予期以上で全く感激の外ありませんでした。”

こうした状況の下でも、講習会が無事行われたことが記されていました。以降のページに掲載されていた表ではこの時の聴講者数は865名であったことが分かります。職業別、学歴別、年齢別の表を注意深くみてみると、学歴別では、大学(理、工)、大学(法、文)、高工、高商其他、工業、中学其他、尋高小、其他、不明のうち、工業が昼夜合せて200名余りとなっている点が目を引きました。本多先生の訓示のとおり“我研究所の仕事は重工業に最も深い関係を有する”ことがはっきりと表れていました。

2月12日(木)

本日も本多先生直筆原稿の紹介です。

すっかり変色しているこの原稿。タイトルの部分を見てみると、
『昭和十五年九月二十一日 研究所訓辞』
となっていました。

昭和15(1940)年というと、5月31日に本多先生は昭和6(1931)年より3期9年にわたって務めてきた東北帝国大学総長の職を辞しており、原稿の日付はその日から4ヶ月ほど後ということになります。 それでは、事務局が解読した本文を以下に紹介しましょう。

  昭和十五年九月二十一日 研究所の訓辞  
 私は本年五月三十一日総長の職を退き事務的には○○になりましたので今后は専ら研究に従事するやうに決心しました。従つて従来の如く当研究所の嘱託として皆様の研究の相談相手となつて愉快の余生を送りたいと思つて居ります 然し東京にも多少の仕事を持つことになりましたので、仙台と東京と約半々に暮して行きたいと思ひます どうか諸君も相変研究問題に付いては御相談○まる様に御願ひします 若し私の研究に對する助言が多少なりとも諸君の研究を促進することになれば夫は単に私の喜びのみならず、非常時局に於て最も必要なる研究能率の向上となり本邦学術のために眞に慶賀すべきことであります 次に金属材料研究所の仕事が最近やかましく叫ばるる新政治体制と如何なる関係にあるかを述へて諸君の御熟考を願ひたいと思ひます  
 新政治体制の確立は近衛内閣の根本政策として著に進捗して居りますが未だ組織編制の中途にあります 然し要するに新体制は天皇を中心とする軍官民の有機的組織体を作ることを主眼として居ります 開始以来○に三ヶ年を経過せる支那事変を廌理し且つ変遷極りなき列強の○に立つて東洋永遠の平和を樹立するには従来の行掛を一変し、一億一心各自有効に其職を尽すやう努力しなければなりませぬ これに付て我々の心構とすべきことに付て述べたいと思ひます  
 先づ第一に我々は自由主義個人主義を清算して国民的奉公的態度に転換しなければなりませぬ 若し国民が以前のように自由主義個人主義を抱いて居りましたなけれ一致団結は到底望まれなく国家としての力は極て微弱なものとなるのであります 現在の如き重大なる時局を克服しよく国是を完遂するためには先づ国家全体の利益を考へその為には個人の利益を抑へなくてはなりませぬ 例へば現在の如く物資の不足を考へればどんな不便を忍んでも物資の節約或は贅澤品乃至は贅澤と思はるる行為の抑制は法律の発布を待つまでもなく抑制しなればなりませぬ  
 次に研究所所員として我々の心構えに付て一言したいと思ひます 我研究所の仕事は重工業に最も深い関係を有するので時局益々多端の折からますますその重要性を増大して来ました 従つて我々の責任も重且つ大であります 我々は一致協力して研究に従事し研究能率の向上に邁進しなければなりませぬ 我々各所員の研究は互に密接なる関係を持つて居りますので連絡の密なることが極て必要であります 夫が為には所員の和合が大切であります 和合なくして研究能率の向上は到底望めないのであります 我研究所も創設当時規模の小なる間は所員も極て親密で和協的であり能率も頗る大でありました 然し其后次第に拡張し研究所の規模の大なるに従い同一経常費に比しまする○○が次第に低下して来ますのは眞に残念に思ひます これは時に発表される研究成績を見れば明かであります 私は所員一同が一致協力一層能率を増進し新体制の主旨に叶ふやう努力せられんことを切望致します  
 どうか所員一同は此の非常時局に於て国民の一員として重要なる国防の一部を負○してゐることを自覚せられ自分の為でなく御国のために働いてゐると云ふ心構で一意研究に従事せられる様切に御願する次第であります 

 どんな訓辞が書かれているのか、実際に文字に起こしてみると、本文中には、「非常時局」や「支那事変」、「国防」といった言葉が登場し、戦時色の濃い内容となっていました。一方で、“愉快の余生を送りたい”とも記されており、70歳となった本多先生の複雑な胸中が綴られている文章とも言えるかもしれません。

2月10日(火)

小雪の舞う中、米ヶ袋の本多会館(旧本多邸)と資料展示室を視察してきました。

一昨年の夏にも展示物の調査で訪れましたが、今回は冬。しっかり防寒対策をして完全防備で向かいます。

こちらは資料展示室。本多会館の視察のあと、本多先生の胸像をはじめとする90点余りの展示物を確認しました。
 

2月6日(金)

◇お知らせ◇   
 明日、7日(土)12:00~   
 仙台放送 
で、
和風総本家 『修復の技 ニッポンの再生職人』 が放送されます!
※1月15日にテレビ大阪で放送済み

[写真:和風総本家放送映像キャプチャ画像]
写真は、職人さんの手が入る前の本多先生像。さて、どのようにして甦るのでしょうか?詳しくは、番組をご覧ください!!
 

2月3日(火)

2月になりました。
写真のスキャン作業が一段落し、少々ゆったりペースが戻ってきた事務局業務。
次なる作業は、ひもづけ作業です。
せっかくデジタル化した写真ですからそれらが撮影された場面や背景をお伝えするべく、文献チェックを進めています。
本日は、その中の一つをご紹介します。
先月のブログで『本多先生在職満二十五年記念』アルバムから写真を何枚か紹介しましたが、その記念祝賀会の場で謝意を伝えるべく本多先生が読まれた原稿が上の写真です。もちろんこれは鉛筆書きですから下書き原稿と思われますが、下書きとはいえ貴重な直筆の原稿の一つです。以下に事務局が解読(?)した内容を記します。

二十五年祝祭
閣下並びに各位  私は閣下並に各位の御厚情に對して茲に御礼の言葉を述べたいと思ひます。私が東北帝国大学の創設せられるに当りまして教授として当大学に来ましてからちょうど本年が二十五年になりますので、日頃から御懇親を願つて居ります方々及び理学部物理学教室工学部金属工学教室の各位並に金属材料研究所の諸君が御○○になり本日の御催を御計畫○○ましたことは私は勿論家族親戚一同の○常の光栄とする所でありまして心から御礼を申し上げる次第であります
○に本日御祝に○ひ出席○し○ますとかくの如く盛大なる御催しでありまして各位の御厚意洵に感激に堪へませぬ 殊に官界学会等の各氏諸賢より身に余る御言葉を賜りまして眞に感謝の限りに堪へませぬ 又記念品として当代一流の美術家の手になる見事なる肖像画並に胸像を作って戴きまして眞に荘有なします
各位の御芳志は唯にこの記念品のみに止まらず多額の奨学金まで集めて下されまして此上もなき仕合でござります
尚内外著名の学者から多数立派な御寄稿を戴き記念論文集を御発行下さることとなりましたことは私の最も光栄とする所であります
元来なれば斯様に盛大なる御催はご遠慮申し上げ度いと存じて居りましたが各位の御熱心なる御同情に對し○○なく極く小規模にと御願したる次第でありましたがかくも盛大に御催し下さいまして眞に恐縮致して居る次第であります
固より私はこれ程の御同情を受ける資格のあるものではありませぬ 唯だ幸にも光輝ある世代に遭遇した為め皇室の限りなき御恩寵と国家の多大の庇護とを受けて今日まで長い年月に渡り専ら研究に従事することを得たのでありまして皇室と国家に對して常に深層なる感謝を捧げて居る次第であります 若し今日に於ける私の研究が多少なりとも社会を益したものがあつたとしたなれば之は決して私自身の力ではありませぬ 全く恩師田中館愛橘長岡半太郎両先生の御懇切なる御指導と同僚諸君の熱心なる御協力と更に若き活動力に充ちたる研究所々員の努力とに依るのであります 殊に研究所の設置研究設備の完成等に就きましては篤志家篤志財団の多大の御援助に預り御蔭で遺憾なく研究を進めることが出来ましたのみならず将来一層の有益なる効果が得らるることと信します私は此の機會に於○に上の諸賢に對し満腔の謝意を表する次第であります
終りに臨み今日の御催に對する各位の御厚情に報ゆる為め私は今后一層誠心誠意研究に従事し国家の為め余生を捧げたいと思ひます 茲に重に閣下並に各位の御厚意に對し感謝の意を表して私の挨拶を終ります

本多先生の直筆文字はなかなかに難解で、ところどころ伏せ字で記載しましたが、盛大な会に対する先生の感謝の思いが十分に伝わってくる内容ですね。
今後もしっかりとひもづけ作業を続けていきます。